管理用。
1. 安養寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 本尊の阿弥陀如来の蓮華の台座がさかさまになっているところから、倒蓮華(さかれんげ)と呼ばれている。
2. 善長寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 大原山善長寺と称する浄土宗西山禅林寺派の寺院。永正年間(1504~1521)に忍想上人によって綾小路室町西入ル善長寺町に創建され、天正19年(1591)に現在地に移転。「くさ」とは疱瘡(天然痘)のことで、皮膚病に御利益があるとされている。
3. 赤門 正覚寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 本堂はエレベーターで5Fへ。
4. 霊石不動堂 明王院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 弘法大師一刀三礼の霊石不動尊は堂内の地中深い井戸の底にあり、古今誰ひとり直に拝した者はないという。
5. 大興寺(芝薬師)
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 風情のある山門をくぐると、本堂はー、え、これ?
6. 浄教寺(燈籠堂)
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 浄土宗。山号多聞山。承安年間(1171~75)、平重盛が東山小松谷の邸内に築いた燈籠堂が前身。四十八間の精舎を建て、各柱間毎に一体ずつ四十八体の阿弥陀仏を安置し、四十八個の燈籠を掲げ「燈籠堂」と称された。荒廃していた堂を立誉上人が東洞院高辻(当時の五条)に移し、浄教寺を開山(1449年/宝徳元年)。「浄教寺」の名を花園天皇より賜った。天正19年(1591)現在地に移転。 (京都観光Naviより)
7. 宝慈院門跡(千代野御所)
8. 光照院門跡(常磐御所)
9. 泉妙院
10. 浄土真宗本願寺派 西光寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 京都駅の東側の、JR在来線と東海道新幹線との間に存在する寺。
11. 日蓮宗京都府第一部宗務所
12. 地蔵院(竹の寺)
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 本尊は小野篁作の地蔵だそうな。←これは京都市南区東九条中札辻町53にある「地蔵院」という寺のベニューに記したTipであるが、心ない者によってこの洛西の竹の寺地蔵院にそのベニュー自体が統合された。Tip自体削除しようとも思ったが、この愚かな行為を晒すためにこの一文を追記してそのままにする。
13. 空海密教大本山 大金龍院
14. 七観音院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 洛陽三十三所観音霊場、旧第八番札所。平成の洛陽三十三所復興の際に外れた。『都名所図会』によれば高倉天皇勅願所。その念持仏の如意輪観音を中尊に、春日仏師作の六観音を加え、七観音院と呼ばれたという。旧寺地は七観音院町として、烏丸六角を下がった辺りに地名として残っている。
15. 寶樹寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 境内に「常盤御前雪除けの松」と呼ばれる残株がある。平治の乱で敗れた源義朝の妾、常盤御前が大和へ逃れる際、この地の老松の下でしばし雪の降るのを避けたと伝えられている。また本堂に祀られている薬師如来坐像は俗に「子そだて常盤薬師」と呼ばれ、常盤御前がその三子、今若、乙若、牛若(のちの阿野全成、義円、源義経)の生長を祈願した像と伝えられている。(駒札参照) 通常非公開。
16. 九品寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 高倉信濃小路交叉点に溝川があり、東西に架けた小橋があった。九条兼実は法然上人に深く帰依していたので、時折近くの九条邸に法然を招いた。ある日、兼実が法然を見送っていると、その橋の辺りを行く法然の背が光り輝き円光を放っていたという。この地九品寺の前身は鳥羽殿内の阿弥陀堂で、法然の弟子覚明坊長西が旧地に再建したものである。(京都市歴史資料館いしぶみデータベースより)
17. 東北院
18. 極楽寺
19. 迎称寺
20. 妙心寺 壽聖院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 慶長4年(1599)、石田三成が父、石田正継の菩提寺として、伯蒲禅師を院主に迎えて創建した。創建当時の壽聖院は、今日の敷地の四倍を有し、周囲には堀と土塀をめぐらし、本堂は壮大を究め、客殿の軒先は金箔瓦で葺きあげ、さながら石田家京都屋敷の観を呈するものであったという。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、寺も縮小の余儀なきにいたった。(公式ホームページより抜粋) 通常非公開。
21. 袋中菴
22. 松花堂跡
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 表参道から影清塚の分岐点を右に上がり、石清水社へと向かう途中に、松花堂昭乗が営んだ「松花堂」という方丈の建っていた跡地がある。瀧本坊の住職であった松花堂昭乗は隠棲後に泉坊に移り、寛永14年(1637)、一角に方丈の草庵を結び「松花堂」と称した。建物は明治の神仏分離により山麓の大谷治麿氏に売却され、破却されずに残った。(石清水八幡宮HPより)
23. 松花堂舊跡 泰勝寺
24. 西福寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 弘法大師空海が創立した「綜藝種智院」のあった西端の場所にあり、「弘法大師御自作 安産石薬師如来」を祀っているようだが、浄土宗。大正10年に京都仏教護国団(団長 大西良慶)によって開設された「京都養老院」の最初の場所。
25. 超勝院
26. 東寺 宝蔵
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 【重文】平安時代、校倉造。現在、国宝重文に指定されている、東寺の法宝物を伝えてきた蔵。火災に備えて周囲は堀に囲まれている。東寺に残る最古の建造物。
27. 臨川寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 非公開になってから、ずっと非公開だな、ここ。
28. 蓮久寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 吉野太夫ゆかりの赤門といえば鷹峰常照寺ですが、ここもそうらしい。
29. 佛母心院跡
30. 大覚寺 心経宝塔
31. 別格本山 覚勝院
32. 真如苑京都支部
33. 夜泣塚地蔵尊
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: ここは、仕事に疲れたサラリーマンが夜な夜な訪れては男泣きに泣いて愚痴をこぼし、それをただ黙って聞き入れてくださるという地蔵尊である。ゆえに「夜泣塚」とは、やり場のない男たちの掃きだめのようなものである。・・・訳はなく、子どもの夜泣き封じに霊験あらたかな地蔵尊である。
34. 般舟三昧院跡 西圓寺
35. 湯たく山茶くれん寺 浄土院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 天正15年(1587)、北野大茶湯の準備中、関白秀吉は浄土院に名水のあるを聞き及び突然に来院、茶を所望した。庵主は点前の未熟を恥じて白湯(さゆ)を出した。聞き違えたかともう一度所望しても出てくるのは白湯ばかりで秀吉は「この寺は"湯たくさん茶くれん寺"じゃ」と名付けた。
36. 天台宗真盛派 上善寺
37. 大雅寺 浄光寺
38. 豊蔵山 休務寺
39. 成圓寺
40. 南禅寺 帰雲院
41. 南禅寺 真乗院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 応仁の乱で京都を焼いた山名宗全の墓がある。
42. 南禅寺 南陽院
43. 金地院東照宮
44. 西福寺 上田秋成墓所
45. 阿含宗 関西総本部
46. 寂庵
47. 大雁塔
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 大雁塔(だいがんとう)は、唐の玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像を納めるために、時の皇帝高宗の許しを得て長安に建立した塔。現在も中国西安市の大慈恩寺にあるが、それは京都にもある。市役所前広場にある。
48. 歯形地蔵尊
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: あまりに真面目な亭主に、妻は実は浮気でもしているのではないかと勘繰っていた。ある雨の日、迎えに出た妻は、若い女と相合傘で帰ってくる亭主を見て逆上。亭主は橋の下の地蔵尊の陰へと逃げたが、妻は追いかけてきて亭主に噛みついた。しかし誤って石地蔵の肩に噛みついてしまい、歯がくい込んで離れなくなってしまった。老僧が助けたが、妻はそのまま死んだ。これは女の嫉妬を戒めたものであるという。にしてもあんまりな話。
49. 親鸞聖人旧蹟 勝福寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 門前の石碑には「親鸞聖人御草庵清水庵 真佛房平太郎御化導之地」とある。晩年に京に戻った親鸞は洛中を転々としたが、ここ清水庵に一時期住まいしていたという。ここで親鸞は歯が抜けて、その感慨を「秋はつる落葉は冬ぞいざさらば無量寿国の春ぞなつかし」と詠んだ。それに感動した真仏房平太郎はその歯を所望し、親鸞は自らの木像を併せて与えた。その木像が当寺に伝来する「落葉の尊形」である、とのこと。
50. 大原法華堂
51. 東寺 北総門
52. 宝菩提院
53. 東寺 大元帥明王堂
54. 東寺 夜叉神堂
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 言い伝えでは、夜叉神(やしゃじん)像はもともと南大門の両脇に置かれていたという。しかし、通行する人に非礼があると容赦なく罰を与えたので、中門に移されたとか。
55. 大歓喜寺(中世日本研究所)
56. 光明寺(抱き留めの弥陀)
57. 大黒福授延命地蔵菩薩
58. 夜泣地蔵尊
59. 植髪堂
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 「植髪堂(うえかみどう)は、浄土真宗の祖親鸞上人が、時の門主慈鎮和尚(じちんかしょう・前大僧正慈円)のもと、青蓮院で得度された折の剃髪を童形像にお植えしておまつりしている由緒あるお堂です。」 門の外にあるので、拝観料不要の区域にある。青蓮院とは別にこの御堂に御朱印がある。
60. 歌仙堂
61. 西陣妙見宮 善行院
62. 中大門
63. 二王門
64. 南大門
65. 南遣迎院(西山国師終焉之地)
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 浄土宗の開祖・法然上人の高弟で、西山派(せいざんは)の祖、善慧房証空(ぜんねぼうしょうくう・1177~1247)の終焉の地である寺。証空は寛政8年(1796)に鑑知国師の名を光格天皇より賜り、一般的に「西山国師」と呼ばれている。西山国師十六霊場第十番札所。
66. 瑞光院
67. 閻魔山 浄心寺
68. 相国寺 鐘楼
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 時代劇のロケでさんざん使われた鐘楼。
69. 相国寺 瑞春院(雁の寺)
70. 弘法市
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 毎月21日は弘法大師空海の縁日。弘法市(弘法さん)は、「毎月21日の朝5時ごろから夕方4時ごろ(日没ごろ)まで終日行われていますが、開店・閉店時間は季節や天候、出店者によって変化します。基本的には雨天決行ですが、たとえば古着屋や骨董など雨に弱い商品の店は開店休業状態だったりもします。」とのこと。1月21日の縁日を「初弘法」、12月21日の縁日「終弘法(しまいこうぼう)」といい、特に賑わう。
71. 東寺 南面不動堂
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 御影堂(みえいどう)の裏側にあたる南側にも参拝口があり、ここに国宝不動明王像が安置されている。絶対秘仏であり、吉野水分神社玉依姫命像と並んでここだけはそうそう拝観できない国宝仏。しかし、古い写真は存在する。それは調査のため開扉したときのものらしいが、あまりよろしくない不可解な出来事が起こって、以来開けていないというのは情報元未確認の風の噂・・・。
72. 高野堂 妙心寺(醒ヶ井地蔵尊)
73. 壬生寺 本堂
74. 妙心寺 衡梅院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 開祖は、応仁の乱後の妙心寺を名実ともに再興した雪江宗深(せっこうそうしん)。細川政元(まさもと)の外護(げご)を得て文明元年(1469)または12年に創建した。同18年に遷化した雪江は遺命によって衡梅院に塔された。その後衰微したが、慶長9年(1604)、天秀得全(てんしゅうとくぜん)が真野蔵人一綱(まのくらんどかずつな)の援助を得て中興を果たした。現在の方丈はこのとき建立された。[妙心寺HPより]
75. 大徳寺 法堂
76. 大徳寺 仏殿
77. 大徳寺 三門(金毛閣)
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 利休切腹ゆかりの山門。
78. 大徳寺 本坊
79. 良正院
80. 浄土宗宗務庁
81. 下醍醐 清瀧宮
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 【国重文】本殿。醍醐寺の鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る。永長2年(1097)、上醍醐の清瀧宮から勧請された。文明の兵火で焼失し、現在の社殿は永正14年(1517)の再建。
82. 醍醐寺 祖師堂
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 真言宗宗祖である弘法大師空海と、醍醐寺を開創した理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)を祀る。
83. 醍醐寺 真如三昧耶堂
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 真如苑による、真如苑のための御堂。真如苑開祖伊藤真乗が独自に創始した真如三昧耶流(しんにょさんまやりゅう)を顕彰するために平成9年(1997)に建立されたという。
84. 醍醐寺 不動堂
85. 妙顕寺 十乗院
86. 妙顕寺 千佛堂
87. 延壽寺
88. 高野山堀川別院 蔵林寺
89. 建仁寺 大中院
90. 建仁寺 陀羅尼鐘
91. ミッドナイト念仏 in 御忌
92. 三心坊墓地
93. 西行寺跡
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 西行(さいぎょう)が出家する前、佐藤義清(さとうのりきよ)と名乗って院に北面の武士として仕えていた頃、この辺りが邸宅であったといい、後に寺が営まれた。江戸時代の『都名所図会』にも描かれているが、明治に近くの観音寺に合併されて廃絶した。
94. 梅林寺
95. 史蹟 西寺阯
96. 相国寺 法堂
97. 相国寺 三門跡
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 三門(さんもん)跡には数個の礎石が今なお残されており、天明8年(1788)の大火の後再建されていません。(相国寺HPより)
98. 相国寺 光源院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 室町十三代将軍足利義輝(あしかがよしてる・1536-65・光源院殿)の位牌所。義輝は、永禄6年(1565)の世にいう永禄の変(えいろくのへん)で、松永弾正久秀、三好三人衆らによって暗殺された。
99. 相国寺 養源院(毘沙門尊天)
100. 相国寺 普廣院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 室町六代将軍足利義教(あしかがよしのり・1394-1441・普廣院殿)の位牌所。義教は、嘉吉元年(1441)の世にいう嘉吉の変(かきつのへん)で、播磨の守護大名赤松満祐(あかまつみつすけ)に暗殺された。墓所は寺町の十念寺にある。また、首塚と伝えられるものが大阪の崇禅寺(大阪市東淀川区)、播磨の安国寺(兵庫県加東市)にある。
101. 二王門
102. 済信塚
103. 仁和寺 中門
104. 香雪院
105. 駒薬師如来
106. 徳禅寺
107. 蛸地蔵尊
108. 太子堂 白毫寺
109. 極楽寺
110. 大念寺
111. 宝積寺 三重塔(秀吉一夜之塔)
112. 佛光寺 阿弥陀堂門(本堂門)
113. 南向光村地蔵尊
114. 鷄冠井興隆寺跡
115. 日扇山 誕生寺
116. 玄忠寺
117. 指月山 月橋院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 応仁の乱後、後土御門天皇の勅願によって般舟三昧院(はんじゅうざんまいいん)がこの地に建立されたが、豊臣秀吉の伏見築城により西陣へと移転した。その跡地に新たに創建されたのが月橋院で、その名称は豊後橋架橋のとき、秀吉の月見の宴が催されたことに由来するという。豊後橋は明治になって「観月橋」と名付けられた。
118. 寶珠山 如意寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 応永3年(1396)、天竜寺40世空谷明応(くうこくみょうおう・佛日常光国師)によって篠村八幡宮付近に開創された。永禄7年(1564)に宇野豊後守秀清が父の菩提寺として山本城を寄進し、篠村より移転したのが現在地。宇野豊後守は、明智光秀の謀反の際に翻意を促したが聞き入れられず諌死した、と寺のパンフレットにはある。人形浄瑠璃『絵本太功記』「千本通光秀館の段」に登場する「九野豊後守」のモデルとのこと。
119. 曹洞宗 近畿管区教化センター
120. 華開院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 非公開だが、日野富子(1440~96)の墓がある。
121. 神力山 妙堯寺
122. 日限薬師 地福寺
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 京都十二薬師霊場第五番札所、日限薬師〈ひぎりやくし〉。
123. 観音寺
124. 少林寺拳法 洛東道院 三福寺
125. 伝 深草少将邸宅跡(姿見の池・姿見の井戸・涙の水)
126. 深草聖天 嘉祥寺
127. 霊光寺
128. 日像菩薩荼毘霊蹟
129. 西之大坊 大雲寺
130. 清水寺 警備室
131. 清水寺 放生池
132. 燈明寺
133. 三寳寺
134. 称名寺
135. 隆彦院
136. 喜運寺
137. 正法寺(旧 正覚寺赤門)
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 伏見城の赤門を、板倉勝重、金地院崇伝の奉行によって正覚寺(四条裏寺)に移したが、天明の大火で焼失。文化5年(1808)に再建されたのがこの門で、平成2年に正覚寺を建て直し、赤門ビルが建てられた際に現在地へ移された。
138. 因性寺
139. 三室戸寺 霊宝殿
140. 羽戸山 安養寺
141. 念佛寺
142. 浄運院
143. 道知院
144. 徳林院
145. 八橋寺 常光院
146. 願行寺
147. 若松町地蔵尊
148. 天龍寺 多寳殿(後醍醐天皇聖廟)
149. 三秀院
150. 霊庇廟
151. 永明院
152. 壽寧院
153. 妙智院
154. 慈眼寺
155. 遣迎院
156. 瑞芳寺
157. 将軍塚青龍殿
3+4=7: 大舞台からのパノラマが素晴らしいです。五山が全て見渡せますよ。夜景スポットとしても最高。
158. 本法寺 多宝塔
159. 日親上人 説法石
160. 養林庵書院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 【重文】伏見城の遺構と伝えられ、障壁画は宇治市指定文化財。床の間に雪景山水図、襖に籬(まがき)に梅図、天袋に花卉(かき)図が描かれ、作風から狩野山雪筆とされている。2012年に奉納された山口晃筆「当世来迎図」襖絵12面がある。しかし、非公開。
161. 浄土院
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 「浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(1492-1501)に平等院修復のために開創した寺と伝えられています。文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などを管理しています。」(平等院HPより)
162. 観音堂
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 【重文】鎌倉時代前期。創建当時の本堂跡に再建された建物であるという。観音堂本尊十一面観音立像(重文)は鳳翔館へ移され、常設展示されている。
163. 迎え鐘
164. 通し矢射場
k̦̮̮̭̰̪̩͇͓̦͒̂̓͐̽̆̉̊̇͒o̳̙̣̲̞̠̙͖̖͖̩͗̈́͛͆̃͋̊̔̒̓̀̏r̩̜̙͖̠̪̫͖͖̖͖̐̌̐̾̿͊y͕̬̯̠͙̬̓̏̒̂̎̑̎̾̒͗́ͅu͇͔̞̞͖͉̞͊̌͋̈̄̀̅́̿ m̙̗̱͇͕̟̀̈́͛͂̐̽̋͌̄̚̚ͅó͕̙͔͍͙͖̘̳̳̗̆͊̾͊̉́n̠̠̤̣̮̰̙͌̇̄̾̑̏̾̅̔̋̆̚ͅ: 弓道を志す者の聖地。江戸時代、三十三間堂の西縁では射通した矢の数を競う「大矢数」が行われた。貞享3年(1686)、紀州藩の和佐大八郎は一昼夜で総矢数13053本、通し矢8133本の記録を残した。その故事にならい、毎年新春に大的大会が開かれ、新成人たちが和服姿で弓を披露する。朝からアマチュアカメラマンが押し寄せ、凛々しい和服女子を撮りまくって動かないので、矢が飛んでいるところしか見えません。
165. 心道教会
166. 龍興院
167. 萬松院
168. 萬寿院
169. 萬福寺 総門
170. 萬福寺松隠堂 開山堂
171. 萬福寺 鼓楼
172. 開梆(かいぱん)
fuyu👁🗨® 冬の(='-')ノ ガキんちょ🍥🍊: 木魚の原型は音も素朴。ここから公式の音源で聴くことができます。 http://www.eonet.ne.jp/~obakusan/sounds/kaipan.mp3
173. 獅子林院
174. 大黒堂
175. 国家安康 君臣豊楽の鐘
176. 六波羅蜜寺 令和館
177. 妙心寺 勅使門
178. 妙心寺 仏殿
179. 妙心寺 大通院
180. 龍安寺 仏殿
181. 細川廟
182. 檀王法林寺 楼門
183. 寳池山 浄福寺
184. 深泥池地蔵堂
185. 大徳寺 瑞雲軒
186. 柳町 出世地蔵尊
187. 宝泉院
188. 妙清寺
189. 等持院 霊光殿(足利歴代将軍木像)
190. 千本釈迦堂 霊宝殿
191. 北野経王堂
192. 行願寺 寿老神堂
193. 二尊堂
194. 鏡山地蔵尊
195. 薬師如来 大原御香水
196. 浄楽堂
197. 摂取院(蛇道心寺)
198. 阿弥陀如来 石仏
199. 三千院 弁財天
200. わらべ地蔵
201. 長楽寺 収蔵庫
202. 北野虫除八幡 宝樹寺(鳩寺)
203. 平等寺 観音堂
204. 下鴨 鬼子母善神
205. 金臺寺
206. 長圓寺 観音堂
207. FIORE西院
208. 道入寺
209. 赤山禅院 雲母不動尊
210. 赤山禅院 相生社
211. 換骨堂(元真如堂)
212. 殺生石 鎌倉地蔵尊
213. 佛光寺 大師堂(御影堂)
214. 佛光寺 書院(白書院・黒書院・南書院)
215. 佛光寺 阿弥陀堂
216. 佛光寺 今月の標語
217. 空豆地蔵尊
218. 實相寺
219. 密教 法王院(大正念本部道場)
220. 善峯寺 楼門
221. 白山 桜あじさい苑
222. 聖ドミニコ会 女子修道院
223. 在日大韓基督教会 京都南部支部
224. 図南亭
Foursquare © 2025 Lovingly made in NYC, CHI, SEA & LA
We use the latest and greatest technology available to provide the best possible web experience.Please enable JavaScript in your browser settings to continue.
Download Foursquare for your smart phone and start exploring the world around you!