2013/9現在、国宝に指定されている建造物は218あります。国宝指定は寺院の一部だったり、城郭の一部だったりしますが、このリストではその国宝を一部として有する既存のvenue全体を登録している場合があります。西日本と東日本の境目は曖昧です。
1. 神魂神社
2. 善水寺本堂
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「善水寺本堂」…南北朝時代の貞治五年(1366)再建された天台密教仏殿です。 木造入母屋造桧皮葺、正面は桁行七間もの幅広ながら向拝を持たないため屋根の曲線がとても美しいです。 …本尊薬師如来をはじめ三十余躯の仏像を安置しています。
3. 根来寺 大塔
Massara Nati …: 正式には『大毘盧遮那法界体性塔(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)』…略して『大塔』…普段から内部を一般公開している貴重な多宝塔で、内部には12本の柱が円形に立ち、そのなかに四天柱が立っています。(もちろん堂内は撮影禁止)
4. 国宝 元興寺極楽坊五重小塔
5. 日吉大社 東本宮 本殿
6. 日吉大社 西本宮
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「日吉大社西本宮本殿及び拝殿」…西本宮本殿 - 1586年(天正14年)の建立。檜皮(ひわだ)葺きで、屋根形式は「日吉造」という日吉大社特有のものです。正面から見ると入母屋造に見えますが、背面中央の庇部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色だそうです。
7. 出雲建雄神社 拝殿
Massara Nati …: 【国宝】...指定名称は『石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿(いそのかみじんぐうせっしゃいずもたけおじんじゃはいでん)』…石上神宮の摂社である出雲武雄神社の拝殿にしては非常に大きく、また本殿の正面から中心がずれた割拝殿は不思議に感じましたが、もとは内山永久寺(明治初期に廃絶)の鎮守社住吉社の拝殿だったもので大正3年(1914)に移築したものだと知り納得しました。。
8. 明通寺 本堂
9. Myotsuji Temple
10. Oura Cathedral
Massara Nati …: 【国宝】 正式名称は『日本二十六聖殉教者聖堂』...1862年に二十六人の殉教者たちが聖人に列せられたのを受け、殉教の地である西坂に向けて江戸末期の元治元年(1864)に建てられた教会を明治8年に外国人宣教師の指導の下に我が国の大工棟梁が改築しました。ヴォールト天井や尖頭式アーチ形の窓をもつ本格的な洋風建築で,我が国の工匠が洋風建築を手がけた最初期の例として大変貴重です。
11. 旧閑谷学校
Massara Nati …: 【国宝】旧閑谷学校 講堂(きゅうしずたにがっこう こうどう)…閑谷学校は江戸時代に建てられた、旧岡山藩直営の庶民教育のための学校。樹々や花々が四季折々の彩りを見せ、訪れる人を楽しませてくれます。 創建は寛文10年(1670)岡山藩主池田光政によって成されましたが、武士の子弟の学ぶ藩学校は岡山城下にあり、閑谷学校ははじめから庶民を中心とした学問所としてつくられました。
12. 龍光院
Massara Nati …: 【国宝】「竜光院書院」江戸時代前期(17世紀半ば)に建てられた寄棟造り・こけら葺の建物。【重要文化財】「本堂」慶安2年(1649)建立。寄棟造檜皮葺き。「盤桓廊(ばんかんろう) 」本堂と同じく慶安2年(1649)建立。「 兜門 」龍光院の表門で、檜皮葺きの平唐門である。 (一般公開はされていません)
13. 妙喜庵
Massara Nati …: 【国宝】「妙喜庵書院及び茶室(待庵)」…日本最古の茶室建造物であり、千利休作と信じうる唯一の現像茶室である。
14. 西本願寺 飛雲閣
Massara Nati …: 【国宝】「本願寺飛雲閣」…金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。秀吉が建てた聚楽第の一部で、三層からなる楼閣建築。
15. 西本願寺 北能舞台
Massara Nati …: 【国宝】「本願寺北能舞台」… 白書院の北側前庭に、上段の間に相対するように設けられた能舞台。白書院が見所となる。舞台、橋掛の構造意匠が簡素であること、屋根が比較的小さいこと、後座も本舞台と同じ様に床板が縦に張られていること、橋掛の舞台となす角度が急なことなどが特徴で、これらは江戸時代に入って様式が固定される前の自由な古式を伝えるものである。
16. 西本願寺 白書院
Massara Nati …: 【国宝】「本願寺書院(対面所及び白書院)」…対面所の北裏にある賓客(ひんきゃく)を迎える正式の書院。一の間、二の間、三の間からなります。一の間は紫明の間ともいわれる最重要の間で、上下段に分 かれ、壁面や襖等には中国古代の帝王堯舜(ぎょうしゅん)に関する故事が描かれています。また、三の間は華麗な孔雀を描き、孔雀の間ともいわれています。 畳を取り除くと能が演ぜられるよう工夫されています。
17. 西本願寺 黒書院
Massara Nati …: 【国宝】「本願寺黒書院及び伝廊」…黒書院は粗木を用いた私的な室で、歴代ご門主が寺務をとられた所。一の間(門主室)二の間を中心に、茶室、鎖の間、広敷などがあります。幾何学絞様(きか がくもんよう)の欄間や、狩野探幽筆の襖・貼附の墨絵等は清楚な趣きを漂わせ、一の間の床・違棚の配置、釘隠の意匠にも特殊な考慮がなされています。江戸 初期の数奇屋(すきや)風代表的書院。
18. Ninomaru Palace
Massara Nati …: 【国宝】二条城全体が国の史跡。その中でも二の丸御殿(遠侍及び車寄・式台・大広間・蘇鉄之間・黒書院・白書院)が国宝に指定されている。
19. Togudo
Massara Nati …: 【国宝】「とうぐどう」義政の持仏堂で、文明18年(1486)の建立。東求堂の名は横川景三の撰による。池に面して建てられ大きさは3間半四方。正面左は方2間の仏間、右奥は義政の書斎である。書斎の北側に設けられた付書院と違棚は現存最古の座敷飾りの遺構であり、書院造や草庵茶室の源流として、日本建築史上貴重な遺構である。なお、創建当時は現在位置より南方の銀閣に近い位置に建てられていたと推定されている。
20. Ginkaku-ji Temple
Massara Nati …: 【国宝】 足利義政が自らの山荘・東山殿として建設したもの。敷地内には会所、常御殿に加え観音殿、東求堂(銀閣)などが設けられていたが、義政の死後慈照寺となった後、観音殿、東求堂以外は失われた。一階を書院造の要素の濃い住宅風、二階を禅宗様を基調とした仏殿風にしつらえる。金閣とならぶ楼閣建築の双璧。
21. 三宝院殿堂 表書院
Massara Nati …: 【国宝】庭に面して建っている表書院は、書院といっても縁側に勾欄をめぐらし、西南隅に泉殿が作りつけてあり、平安時代の寝殿造りの様式を取り入れたユニークな建築で、下段・中段・上段の間があります。下段の間は別名「揚舞台の間」とも呼ばれ、畳をあげると能舞台になります。中段の間、上段の間は下段の間より一段高く、能楽や狂言を高い位置から見下ろせるようになっています。
22. 醍醐寺三宝院 唐門
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は『三宝院唐門』...豊臣秀吉が晩年に催した 醍醐の花見 の翌年、慶長4年(1599)に建てられた門で、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる 勅使門 です。創建当時は門全体が黒の漆塗で、菊と五七の桐の四つの大きな紋には金箔が施されていました。平成22年7月、約1年半をかけ、往時の壮麗な姿に修復されました。その大胆で絢爛豪華な意匠は、桃山時代の気風を今に伝えています。
23. Kanchiin
Massara Nati …: 【国宝】「観智院客殿」…江戸時代のはじめ、第10世亮盛(りょうせい)が再建。 唐破風付の車寄せや押板形式の床の間といった中世の住宅様式を残しながら、柱の間隔を畳割りで決めるなど、近世の書院造へと移り変わる様子をうかがい知ることができる貴重な建物です。 客殿内部は、上段の間、次の間、羅城の間、暗(あん)の間、使者の間からなり、上段の間には、宮本武蔵筆の「鷲の図」と「竹林の図」が描かれています。
24. 光浄院
Massara Nati …: 【国宝】園城寺山内で最も格式の高い子院。外郭には城郭を思わせる豪快な石垣が見られる。 外観は勧学院客殿とほぼ同じだが内部の部屋数や配列などに相違が見られ、 一之間の付書院が広縁に張り出すプランなどには、伝統的な形式の中に 新しい要素を取り入れたものとされている。一之間、二之間には狩野派による華麗な障壁画が残されており、桃山時代における書院の代表的建築として極めて貴重です。 ※一般公開致してません。
25. 勧学院
Massara Nati …: 【国宝】勧学院は学問所として、正和元年(1312)に創立。その後火災や秀吉の破却にあいますが、慶長五年に再建され現在に至る。内部は南北を大きく三列に分け、南列の一之間と広い二之間には、 狩野光信による華麗な障壁画が部屋を飾っています。 基本的に全ての部屋は襖で仕切られ、襖をはらえば広い空間となります。 これは学問所として多人数での使用を考えた上での機能と考えられます。 ※一般公開致されてません。
26. 東寺 金堂
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「教王護国寺金堂」…現存の建物は慶長8年(1603)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもので奉行として片桐且元が任にあたった。入母屋造本瓦葺きで外観からは二重に見えるが一重裳階(もこし)付きである。建築様式は和様と大仏様が併用され、貫や挿肘木を多用して高い天井を支える点に大仏様の特色が見られる。内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されている。
27. 醍醐寺 金堂
Massara Nati …: 【国宝】..指定名称は『醍醐寺金堂』...醍醐寺のご本尊、薬師如来坐像が安置されています。元は醍醐天皇の御願により延長4年(926)に釈迦堂として創建されましたが永仁、文明年間と二度焼失。その後豊臣秀吉の命によって紀州湯浅から移築が計画されましたが仮柱が立てられてすぐに秀吉が亡くなり工事は一旦中止、しかしその後、秀頼に引き継がれ慶長5年(1600)に完成したのが現在の金堂の元になってます。
28. To-ji Pagoda
29. Hikone Castle Tower
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「彦根城天守、附櫓及び多聞櫓(つけやぐら および たもんやぐら)」… 井伊直政が慶長八年(1603)に佐和山城より居城を移して以来の井伊家代々の居城。天守隅木の墨書や文書から少なくとも慶長十一年(1606)には完成していたと考えられる。壁、軒裏、破風を漆喰で塗り込め、金箔を押した飾り金具や黒漆を多用するなど華麗な意匠が特徴。
30. 姫路城 天守閣
Massara Nati …: 【国宝】指定建造物は5種( イ、ロ、ハ、ニの渡櫓・乾小天守・西小天守・大天守・東小天守)…姫山に赤松氏の居城として建てられたのがはじまりです。豊臣秀吉の中国攻めの拠点となり、次いで慶長五年(1600)に関ヶ原の戦いの功により城主となった池田輝政による整備、慶長十四年末には概ね完成しました。
31. Himeji Castle
Massara Nati …: 【国宝】登録建造物は5種( イ、ロ、ハ、ニの渡櫓・乾小天守・西小天守・大天守・東小天守)…姫山に設けられた赤松氏の居城にはじまり、秀吉の中国攻めの拠点〜次いで慶長五年(1600)に関ヶ原の戦いの功により城主となった池田輝政による整備、慶長十四年末には概ね完成。大天守は外観五重,内部七階で三基の小天守と渡櫓で繋がれて連立天守郭を構成。白漆喰塗りの城壁の美しさから白鷺城の名で呼ばれている。
32. 新羅善神堂
Massara Nati …: 【国宝】文禄四年(1595)の秀吉による破却のため、 山内にはそれ以前の建立になる建築が極めて少ないですが、 智証大師ゆかりの新羅明神像(国宝)を安置する新羅善神堂は、 足利尊氏による再興の伝えをもつ社殿で、貞和三年頃の造立とされている。 桧皮葺の流れるように軽快な屋根のカーブが美しく、 また、欄間に緻密な透彫を施すほかは、目立った装飾を取り入れずに、 簡素さの中に整った上品さを表しています。
33. 御上神社
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「御上神社本殿(みかみじんじゃほんでん)」… 御上神社は『延喜式』に式内社明神大社、月次に新嘗の官幣社として記載がある古社で、野洲川の流域、三上山の西麓に鎮座する。 本殿は様式手法上より鎌倉時代の建立と推定される。方三間屋根入母屋造で隅にのみ舟肘木をつけた比較的單純なものであるが、神社建築のうちでは古い遺構の一つで入母屋造であるのも比較的類例の少ない点文化史的意義が深い。
34. 大笹原神社
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「大笹原神社本殿」… 御上神社は『延喜式』に式内社明神大社、月次に新嘗の官幣社として記載がある古社で、野洲川の流域、三上山の西麓に鎮座する。 本殿は様式手法上より鎌倉時代の建立と推定される。方三間屋根入母屋造で隅にのみ舟肘木をつけた比較的單純なものであるが、神社建築のうちでは古い遺構の一つで入母屋造であるのも比較的類例の少ない点文化史的意義が深い。
35. 都久夫須麻神社 (竹生島神社)
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「都久夫須麻神社本殿」… 現在の本殿は永禄十年再建されたものに、慶長七年豊臣秀賴が伏見城の建物を寄進して組合せたものである。方三間の身舍部分が伏見城の遺構で漆塗、金蒔絵、彫刻、極彩色に鍍金金具を以って装飾し極めて豪華富麗であり且つ手法の優秀なこと桃山時代の代表的建築と云える。
36. 日吉大社 西本宮
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「日吉大社西本宮本殿及び拝殿」…西本宮本殿 - 1586年(天正14年)の建立。檜皮(ひわだ)葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇(ひさし)部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色。
37. 日吉大社 東本宮
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「日吉大社東本宮本殿及び拝殿」…東本宮本殿 - 1595年(文禄4年)の建立。建築形式は西本宮本殿に似る。昭和初期までは「大神神社本殿」と呼ばれていた。
38. 苗村神社
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「苗村神社西本殿(なむらじんじゃにしほんでん)」...苗村神社の境内は、東社地と西社地の二つに分けられており、両方にそれぞれ一棟ずつ本殿が鎮座しています。そのうち西本殿は鎌倉時代後期の徳治3年(1308)に建立されたもので、祭神は国狭槌命(くにのさづちのみこと)。 現存する神社建築としては非常に古いものとなっています。
39. Ujigami Shrine
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「宇治上神社本殿」、「宇治上神社拝殿」…宇治川の東岸の朝日山の山裾に鎮座する宇治上神社、その本殿は、神社建築では日本最古です。 拝殿は、鎌倉時代前期に伐採された桧が使用されており、鎌倉時代の優れた建物遺構。 本殿は平安時代後期に伐採された木材が使われて、一間社流造りの三殿からなる。左右の社殿が大きく中央の社殿が小さい。
40. Shimogamo-Jinja Shrine
Massara Nati …: 【国宝】指定は2棟、「東本殿」と「西本殿」…東殿は玉依姫命(たまよりひめのみこと)←賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)の母を祀り、西殿は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)←玉依姫命の父を祀っている。 楼門、舞殿、神服殿、四脚中門等31の重要文化財がある。境内は国指定史跡。「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録。
41. Kamigamo-Jinja Shrine
Massara Nati …: 【国宝】国宝指定は「本殿」と「権殿」の2棟…。賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。 賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代山城の豪族賀茂氏の氏神を祀っている。祭神は 賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意。古都京都の文化財として世界文化遺産の一つとして登録されている。
42. 清瀧宮(清滝宮) 拝殿
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「醍醐寺清滝宮拝殿」…「滝」を「瀧」と表記の場合あり。山腹をわずかに切り開いて前面が崖にさしかかる懸造り(かけづくり)の構造になっている。三宝院・上醍醐・下醍醐の全体で醍醐寺だが、上醍醐は醍醐寺開創の地であり、下醍醐からは山道を1時間ほど上らないとたどり着けない厳しい場所にあります。国宝は「清滝宮拝殿」のほか「薬師堂」、重要文化財に「開山堂」「如意輪堂」などがあります。
43. 上醍醐 薬師堂
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「醍醐寺薬師堂」…醍醐寺山上伽藍の主要堂宇で、現在の堂は安保2年(1121)に再建されたもの。三宝院・上醍醐・下醍醐の全体で醍醐寺だが、上醍醐は醍醐寺開創の地であり、下醍醐からは山道を1時間ほど上らないとたどり着けない厳しい場所にあります。国宝は「薬師堂」のほか「清滝宮拝殿」、重要文化財に「開山堂」「如意輪堂」などがあります。
44. 醍醐寺 五重塔
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は『醍醐寺五重塔』...醍醐天皇の菩提を弔うため、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。醍醐寺で唯一兵火を免れ創建当時の姿をとどめています。高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルと塔高の1/3を占めており見た目にも安定感を与えています。
45. 豊国神社 唐門
Massara Nati …: 【国宝】建立は桃山時代。本殿正面に建つ四脚唐門。南禅寺金地院から移築された。伏見城の遺構と伝えられ、欄間や扉などに豪華な装飾が施されている。
46. Kitano-Tenmangū Shrine
Massara Nati …: 【国宝】「本殿」「石の間」「拝殿」「楽の間」を1棟として登録されている。 現在の建物は慶長十二年(1606)豊臣秀賴が造営したもので、拝殿と本殿を石の間で連絡した権現造になる。 拝殿の東西に楽の間を、本殿の西に脇殿を附属している。 内部石の間の構架は雄大な手法をあらわし屋根も変化に富んでいて、所謂八棟造の形式になる。 近世初期神社建築の代表的な遺構である。
47. 櫻井神社
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「桜井神社拝殿」…鎌倉時代の建築。切妻造、本瓦葺き。建築当初は全体に床をはっていたが、後に中央部が通路となり左右を部屋とした。このような形状の拝殿を「割拝殿」といいます。
48. Sumiyoshi-taisha Shrine
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「住吉大社本殿」…本殿は四棟あり、西から第三殿、第二殿、第一殿の順に縦に並び、第三殿の南に第四殿が建つ。切妻造、妻入で、柱は全て丸柱で礎石上に立ち、正面および前後ニ室の中間に大きな板扉を開き、他は板壁である。前後ニ室かなる独特の平面をもち、この形式を「住吉造」といい、四棟すべて同形式同規模でつくられる。
49. 宇太水分神社 中社
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「宇太水分神社本殿(うだみくまりじんじゃほんでん)」…吉野(上社)、古市場(中社)、下井足(下社)…の3社のうち、国宝は中社本殿。同形(春日造)の本殿3棟が並ぶ。
50. Kasuga-taisha Shrine
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「春日大社本社」…本社本殿の4棟が国宝に指定されています。
51. 石上神宮
Massara Nati …: 【国宝】指定は「石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿(いそのかみじんぐうせっしゃいずもたけおじんじゃはいでん)」… 元来は鳥羽天皇の永久年間(1113-18)に創建された大寺院、内山永久寺の鎮守の住吉社の拝殿でしたが神仏分離令により明治9年に廃絶。その後も残された住吉社の本殿も明治23年に放火によって焼失し、拝殿だけが荒廃したまま残されていたため大正3年、当神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿として移築された。
52. 円成寺
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「圓成寺」、「春日堂」と「白山堂」の2棟の社殿が指定。2棟とも同規模・同形式である。安貞2年(1228年)の再建といわれる。春日造社殿の現存最古の例として国宝に指定。明治初期の神仏分離令による破壊をまぬがれるため、仏堂風に「堂」と称した。
53. 三徳山三佛寺 投入堂
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「三仏寺奥院(投入堂)」…三仏寺では投入堂への入山はあくまでも観光ではなく修行であるため拝観料とは別にここで入山料を支払い入山届を提出する。貸与された「六根清浄」と書かれた輪袈裟を身につけて入山するが、山道は非常に険しため登山に不適当な服装や靴を着用している者は入山を拒否されることがあり、女性のスカート姿は厳禁。底面にスパイクがついた靴も禁止。深い溝のついたゴム底の靴はOK
54. Izumo Taisha
Massara Nati …: 【国宝】登録は「出雲大社本殿」 … 『日本書紀』や『古事記』に起源説話をもつ古社である。伊勢神宮のような式年造替制が明確でないが、数多くの造営が行われ、現本殿は延享元年(1744)に建てられたもので、正方形平面・切妻造・妻入の大社造である。規模の大きさ、高い床、太い部材など現本殿も相当に雄大であるが、史料や伝承によれば、古代にはさらに高大であった。
55. 神魂神社
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「神魂神社本殿」… 神魂神社のある大庭という土地は、古く出雲国造の住んだところでした。この神社の本殿は天正11年(1583)に再建されたもので、出雲国(島根県東半部)にのみ分布する大社造のなかの最古の遺構だそうです。確かに、出雲大社本殿によく似ていますが、梁行に対して桁行がやや長く、また規模に比して柱が太く、大社造の古い形式を伝えるものと考えられています。
56. Kibitsu Shrine
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「吉備津神社本殿及び拝殿」… 古代以来の吉備地方の鎮護として名高い。現在の社殿は足利義満の命により応永32年(1425)に再建された。本殿の平面は三間社の周囲に庇を二重に廻した形式をとり,内部に向かって次第に床と天井を高めている。屋根は前後二つの入母屋造を連結した比翼入母屋造と呼ばれる特異な外観を見せる。本殿前には妻入りの拝殿が接続し,本殿と同様に大仏様の手法を示す。
57. Itsukushima Shrine
Massara Nati …: 【国宝】名称は「厳島神社」…登録は建造物(6棟) 「本社本殿、幣殿、拝殿」「本社祓殿」「摂社客(まろうど)神社本殿、幣殿、拝殿」「摂社客神社祓殿」「廻廊東廻廊」「廻廊西廻廊」…古来より神聖視された宮島にあり海上鎮護の神として崇敬された。北の入り江に建ち、南奥の本社本殿と東の客社本殿は両流造形式で、拝殿や祓殿などの諸建築を回廊で連続した景観は、寝殿造の大邸宅を思わせる。
58. 住吉神社
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「住吉神社本殿」… 応安3年(1370)大内弘世が再建、その後何度も修理されたにもかかわらず創建当時の面影をよく残し、室町初期の神社建築として特異な様式を示す貴重な存在となっている。 祭神五座に応じて五社殿を並べ、合の間で連絡し、いわゆる九間社流造の形式をとっている。 桁行十二間五尺余り(22.8m)梁間二間三尺余り(4.6m)建坪六十三坪四合余(210m2)の檜皮葺
59. 神谷神社
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「神谷神社本殿(かんだにじんじゃほんでん)」… 三間社流造りの本殿は,檜皮葺の屋蓋・ヤリガンナ仕上げの丸柱・面とりの向拝の角柱などに鎌倉時代の建築様式がよく表現されており,この時代の建築としては,我が国最古といわれております。 大正時代に本殿の修理が行われて何枚かの棟札が見つかりましたが,その1つに建保7年に本殿を再建したことが記された墨書銘がありました。
60. Aoi Aso-jinja Shrine
Massara Nati …: 【国宝】国宝指定を受けたのは、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の建造物五棟。現在の社殿群は、慶長15年(2610)から同18年に4ヶ年をかけて造営されたもので、まもなく400年を迎える。一連の社殿が同時期のものは全国でも珍しいということです。急勾配のかやぶき屋根をはじめ、随所に桃山様式をとり入れた多彩な装飾や色彩、南九州地方にみられる雲龍の彫刻が施されているのが特徴。
61. 宇佐神宮 本殿
Massara Nati …: 【国宝】建築様式は八幡造。二棟の切妻造平入の建物が前後に接続した形で、両殿の間に一間の相の間(馬道)がつき、その上の両軒に接するところに大きな金の雨樋(あまどい)が渡されている。桧皮葺(ひはだぶき)で白壁朱漆塗柱の華麗な建物が、横一列に並んでいます。奥殿を「内院」・前殿を「外院」といいます。内院には御帳台があり、外院には御椅子が置かれ、いずれも御神座となっています。
62. Myotsuji Temple
Massara Nati …: 【国宝】国宝指定は「本堂」と「三重塔」の2棟。本堂は鎌倉時代の正嘉2年(1258)に再建されたもの。大正12年には解体修理が行われました。層入母屋造、桧皮葺。
63. 明通寺三重塔
Massara Nati …: 【国宝】現在の三重塔は鎌倉時代中期の文永7年(1270)に再建されたものです。昭和32年には解体修理が行われました。総高22.26m、三間山荘、桧皮葺。
64. Onjo-ji Temple (Mii-dera)
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「園城寺金堂」…園城寺の本堂で、七間四方、入母屋造、桧皮葺の大建築。伝統的な天台系本堂の形式をよく伝えています。もとの金堂は信長による比叡山焼討ちの後、秀吉が西塔釈迦堂として移したため、慶長四年(1599年)秀吉正室の北政所が再建しました。本尊は弥勒菩薩です。
65. Konpon Chudo
Massara Nati …: 【国宝】 根本中堂は延暦寺創立と共に建てられたが、現在の建物は寬永十七年に再建されたものである。堂々たる堂宇で、内部は外陣を礼堂として板敷であるのに対し内陣は土間としている。これは密教建築の基本的形式を殘すもので文化史上重要な遺構である。
66. 金剛輪寺
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「金剛輪寺本堂」…大悲閣本堂 弘安11年(1288)1月建立の銘が須弥壇にあり鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されており、東京オリンピックには世界に誇れる日本の建造物の一つとして文部省が十分の一の精巧な模型をつくり上野の博物館に展示されました。言わば「オリンピック選手」であります。 (HPより)
67. 常楽寺 三重塔
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は『常楽寺三重塔』...三間本瓦葺の塔、応永7年(1400)頃に建立、釈迦如来座像が安置され来迎壁に釈迦説法図が極彩色で描かれ、 四天柱に諸菩薩、内法壁に十王図、真言八祖図が描かれていますが堂内は非公開です。
68. 常楽寺 (西寺)
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「常楽寺本堂」...常楽寺は奈良時代中期の和銅年間中(708〜715)に元明天皇の勅命を受けて良弁僧正が開基し「阿星山五千坊」の中心でした。東方にある長寿寺の「東寺」に対して一般に「西寺」の呼び名で親しまれています。国宝本堂は延文5年に消失したのち再建されたものです。
69. 西明寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「本堂」と「三重塔」…共に鎌倉時代初期建立。飛騨の匠が、釘を1本も使用しないで建てたものである。「本堂」は屋根は桧皮葺で、かえるまた、吹寄せ菱格子欄間等鎌倉時代の様式が保存され、鎌倉時代を代表する純和風の建造物である。天台密教の道場でもある。「三重塔」は総桧の塔。一層には一面に巨勢派の極彩色による絵が画いてある。八天画、法華経の絵説き、八大龍王、三十二菩薩、花鳥などである。
70. 石山寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「本堂」と「多宝塔」…「本堂」は滋賀県最古の木造建築物とされる。安置されるのは安産・福徳・縁結びの観音さまとして信仰を集める本尊如意輪観世音菩薩。日本で唯一の勅封の秘仏で御開扉は33年毎です。 「多宝塔」は源頼朝の寄進で建久5 (1194) 年に建立された日本最古の多 宝塔。下重が大きく、上重は搭身が細く華奢で軒の出が深い優 美な姿で、日本三大多宝塔の一つです。本尊は大日如来です。
71. 善水寺
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「善水寺本堂」…南北朝時代の貞治五年(1366)再建された天台密教仏殿です。 木造入母屋造桧皮葺、正面は桁行七間もの幅広ながら向拝を持たないため屋根の曲線がとても美しいです。 本尊薬師如来をはじめ三十余躯の仏像を安置しています。
72. Hogon-ji Temple
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「宝厳寺」だけど国宝登録は「唐門」です。…船着き場から急な石段を上り、途中で右に入った位置に建ち、観音堂に接続している。この門は慶長7年(1602)に豊国廟(京都の東山にあった豊臣秀吉の霊廟)の唐門(極楽門)を移築したものであることが『梵舜日記』にみえる。その極楽門は大坂城の極楽橋の唐破風造部分を豊国廟へ移築したものである可能性が指摘されてる。
73. 海住山寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「海住山寺五重塔(かいじゅうせんじごじゅうのとう)」…鎌倉時代の五重塔の貴重な遺構であり、総高17.7mと、室生寺に次いで小さい。貞慶が舎利を安置するために建立を始め、その没後建保2年(1214)に完成した。 全体的に細身だが、初重に設けられた吹放ちの裳階が安定感を与える。また内陣を厨子風に造り、8枚の扉に一体ずつ、華麗な彩色で梵天・帝釈天などの天部や比丘像が描かれる
74. 西院御影堂 (大師堂)
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「教王護国寺大師堂(西院御影堂)」… 西院は教王護国寺(東寺)の西北一廓を占ある別院であって大師堂は西院の中心建築である 弘法大師の住房を佛堂としたもので、現在の建築は康暦二年(1380)の再建であり、更に明德元年(1390)には北に前堂が附加されたが、なおよく住房の形式を伝えている。
75. 東寺 蓮花門
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「教王護国寺蓮花門」…鎌倉時代再建の八脚門。本坊西側、壬生通りに面して建つ。
76. 光明寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「光明寺仁王門」…三間一戸、入母屋造、栩葺の二重門。昭和25年から昭和27年10月まで行われた解体修理で上層の柱から「宝治二年(1248)」の墨書銘が発見された。発見された棟札の記載から、門は仁治3年(1242)から建長5年(1253)にかけて再建されたことが明らかに。併せて永正13年(1516)、享保14年(1729)、安政6年(1859)の3度にわたり修理が行われていたことも判明
77. 広隆寺 桂宮院
Massara Nati …: 【国宝】境内の西側、塀で囲まれた一画にある。聖徳太子像を祀る堂で、法隆寺夢殿と同じ八角円堂であるが、建築様式的には純和様で檜皮葺きの軽快な堂である。正確な建造年は不明であるが、建長3年(1251)、中観上人澄禅による当堂建立のための勧進帳があることから、おおむねその頃の建立と推定される。本尊の聖徳太子半跏像(鎌倉時代、重要文化財)は霊宝殿に移されている。建物は原則として非公開。
78. 高山寺 石水院
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「高山寺石水院(五所堂)」…創建当時、現石水院は東経蔵として金堂の東にあった。安貞2年(1228)の洪水で東経蔵の谷向いにあったもとの石水院は亡ぶ。その後、東経蔵が春日・住吉明神をまつり、石水院の名を継いで、中心的堂宇となる。寛永14年の古図では春日・住吉を祀る内陣と五重棚を持つ顕経蔵・密経蔵とで構成される経蔵兼社殿となっている。明治22年に現在地へ移築され住宅様式に改変された。
79. 浄瑠璃寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「本堂」と「三重塔」…本堂は嘉承2年(1107)の建立。9体の阿弥陀像を横一列に安置するため、横に細長い寄棟造りの堂である。平安後期に建てられた九体阿弥陀堂は現存するものはこの浄瑠璃寺本堂のみです。三重塔は治承2年(1178)、京都の一条大宮から移建したとするが、もともとどこの寺院にあったものか不明。浄瑠璃寺に移築された後、初層内部に仏壇を置きその上に薬師如来像が安置された。
80. Ninna-ji Temple
Massara Nati …: 【国宝】登録は「仁和寺金堂」…仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂。慶長年間造営の御所 内裏紫宸殿を寛永年間(1624〜43)に移築したものです。現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝えるの建築物として、国宝に指定されています。堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれます。
81. The Stage of Kiyomizu
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「清水寺本堂」…徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの。屋根は寄棟造、檜皮葺きで、正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。建物の前半部分は山の斜面にせり出すようにして建てられ、多くの長大なケヤキの柱(139本)が「舞台」と呼ばれるせり出し部分を支えている(釘は使われていない)。このような構造を「懸造」、あるいは「舞台造」と言う。
82. Daisen-in
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「大仙院本堂」… 大仙院は大德寺の一塔頭で、本堂は永正十年に建立された方丈です。背面一部に改変のあともありますが、それを除けば各部の木割細部の手法などに室町時代の特徴がよくみられ、意匠整然として風格も髙く中世の方丈建築で現存するものが少い今日貴重な遺構です。
83. Daitoku-ji Temple
Massara Nati …: 【国宝】登録は「大徳寺・方丈及び玄関」と「大徳寺唐門」…「玄関」は豪商・後藤益勝の寄進で建てられたもので、開祖・大燈国師(宗峰妙超)300年遠忌を記念して新築されたもの。「方丈」は元来は住職の居室を指したが、後に住持の居間は別所に移転され、朝廷の勅使や幕府役人の接待や宗教行事などに用いられる空間となった。「唐門」は近世初頭の四脚門。切妻造、檜皮葺。前後軒唐破風付のいわゆる向唐門。
84. 千本釈迦堂 (大報恩寺)
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「大報恩寺本堂(千本釈迦堂)」…入母屋造、檜皮葺。安貞元年(1227)の上棟。京都市内では数少ない中世建築で、洛中では最古の建物。方三間の内陣の前方に梁間二間の庇(外陣)を付け、内陣の側面と背面には一間幅の庇を付す。内陣は中央の方一間を四天柱で囲まれた内々陣とし、ここに須弥壇を設け、本尊釈迦如来像を安置する厨子を置く。
85. Sanmon Gate
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「知恩院三門」…三門は徳川秀忠が元和5年(1619)に建立を発意し元和7年(1621)に完成。造営には幕府の京都大工頭を世襲した中井家支配の棟梁があたったことが知られています。 五間三戸二階二重門、左右に山廊が付く。
86. 知恩院 御影堂
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「知恩院本堂(御影堂)」…京都東山の山麓にある浄土宗総本山、中心建築の建ち並ぶ伽藍中段にある本堂(御影堂)は寛永10年(1633)焼失後、徳川家光によって寛永16年(1639)に建立。 浄土宗本堂の建築的特徴を最大限にあらわしている。 意匠や技術の面において極めて優れ完成度も高く江戸初期における徳川家の大造営の代表として位置づけられ,我が国の建築史上極めて高い価値がある。
87. 三門
Massara Nati …: 【国宝】三門は空門・無相門・無作門の三解脱門の略。南都六宗寺院の中門にあたります。東福寺は新大仏と呼ばれるような巨大な本尊を安置するなど南都二大寺に影響を受け、この三門は大仏様(天竺様)、禅宗様(唐様)、和様をたくみに組み合わせた建造方式となっている。五間三戸、重層入母屋造、両脇に階上へのぼる山廊を設けた、日本最大最古の遺構です。
88. Hōjō Garden
Massara Nati …: 【国宝】南禅寺の方丈は大方丈とその背後に接続した小方丈からなる。大方丈は内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間、柳の間、六畳、狭屋の間、広縁より成る入母屋造、杮(こけら)葺。小方丈は虎の間、三室(九畳、六畳、二十畳)広縁よりなり、背面切妻造、前面大方丈に接続、杮葺となっている。
89. Hoodo (Phoenix Hall)
Massara Nati …: 【国宝】指定は「中堂」「両翼廊(南)(北)」「尾廊」の4棟。平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂です。華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築です。最も大きな特徴は池の中島に建てられていることで、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面 に映しています。
90. 日野薬師 法界寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「法界寺阿弥陀堂」…鎌倉時代初期の建築。承久3年(1221)の兵火で焼失後、まもない頃の建立と推定される。方五間(間口、奥行ともに柱間の数が5間)の堂の周囲に1間の裳階(もこし)をめぐらした形で、屋根は宝形造(ピラミッド形)で檜皮葺きである。内陣の柱や長押上の小壁には創建当時の絵画が残る。
91. 唐門
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「本願寺唐門」…本願寺の南にある唐門は、黒塗りに極彩色の四脚門で、牡丹に唐獅子、竹に虎、麒麟に孔雀など数々の彫刻が施され、その豪華で精巧な様を眺めていたら、時間が経つのも忘れてしまうことから、別名「日暮らし門」と呼ばれています。
92. Myohouin-Monzeki Temple
Massara Nati …: 【国宝】登録は「妙法院庫裏」…桃山時代の建築。庫裏は寺院の台所兼事務所の役割を果たす内向きの建物である。妙法院庫裏は、豊臣秀吉が先祖のための「千僧供養」を行った際の台所として使用されたと伝える豪壮な建物である。庫裏は屋根を切妻造とするものが多いが、当院の庫裏は入母屋造とする。内部は土間、板間、座敷の3部分に分かれ、土間・板間部分は天井板を張らず、貫・梁などの構造材をそのまま見せた豪快な造りになる。
93. 龍吟庵 方丈
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「竜吟庵方丈」… 竜吟庵は東福寺の塔頭の一で、この方丈は嘉慶元年(一三八七)に建てられた。 現存最古のの方丈。中央前面の間(室中)正面を壁とし仏壇を設けないなど,近世の標準的な方丈形式に達する前の古式を伝えている。前面に蔀戸を用い,側面にも扉を開くなど寝殿造りにも通じる構成も方丈の古い形式と考えられ,貴重である。
94. Sanjusangen-do
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「蓮華王院本堂(三十三間堂)」…平安後期、約30年の間、院政を行った後白河上皇が自身の職住兼備の「法住寺殿・ほうじゅうじどの」と呼ぶ院御所内に、当時権勢を誇った平清盛の資財協力によって創建したものでしたが、そのお堂は建長元年(1249)市中からの火災により焼失し、鎌倉期・文永3年(1266)に再建されました。
95. 観心寺
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「観心寺金堂」… 金堂は大阪府下で本堂として最古の国宝建造物であり、七間四方、単層入母屋造、和様、禅宗様、大仏様の折衷様式の代表的な遺構である。 室町時代初期に建立され、豊臣秀頼の時、江戸時代の中期、明治の初め、昭和の初め等たびたび修理し、昭和五十九年に昭和大修理の落慶をみた。 本尊は如意輪観音で脇侍は不動明王、愛染明王、内陣に板製の両界曼茶羅がある。
96. 孝恩寺
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「孝恩寺観音堂」…観音堂は別名「釘無堂」とも呼ばれ、様式的には鎌倉時代の建築と認められる大阪府下で最古の木造建造物です。全体的には伝統的な和様を基調とする落ち着いた造りですが、随所に禅宗様(ぜんしゅうよう)という鎌倉時代に伝わった新しい建築様式が取り入れられていることから、鎌倉時代でも後半期に属する建物と考えられています。
97. 慈眼院
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「慈眼院多宝塔」の1基。鎌倉時代の文永8年(1271)建立。高さ約10m。屋外にある木造多宝塔で国宝・重要文化財に指定されているものの中では日本最小。石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとされる。初層内部には大日如来坐像【大阪府指定文化財】を安置する。 その他、金堂が【重要文化財】
98. 法華山一乗寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「一乗寺三重塔」の1基。 伏鉢(屋根上、相輪の下部にある半球状の部材)の銘から、承安元年(1171年)の建立と判明する。平安時代にさかのぼり、建立年代の明らかな塔として日本でも稀有のものである。塔身部の逓減率(初重から三重に向かって小さくなる率)の大きいことが特色である。
99. 浄土寺
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「浄土寺浄土堂(阿弥陀堂)」…重源によって建てられ、本尊は快慶作の阿弥陀三尊の巨像を安置する。建久5年(1194)に上棟し、同8年(1197)に完成供養を行ったとの記録。当時の中国(宋)の最新式である大仏様(かつては天竺様とも)と呼ばれる建築様式で、鎌倉時代以後の寺院建築に大きな影響を与え。重源が手がけた大仏様建築で現存するものは他に東大寺南大門と同寺開山堂のみである。
100. 太山寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「太山寺本堂」… 弘安八年(1285)の火災で前身の建物が焼失し、その後復興にとりかかり永仁年間(1293~99)再建された。 規模は柱真々間で正面20.82m、側面17.76mと大きい。仏教の大衆化に伴う新しい仏殿の形式が成立した初期の例としてこの本殿は、極めて貴重な遺構といえる。
101. 朝光寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「朝光寺本堂」…寄棟造、本瓦葺き。厨子裏板の墨書により応永20年(1413年)に本尊を移し、正長元年(1428年)に屋根の瓦葺きが完成したことがわかる。建築年代の明らかな、室町時代密教仏堂の代表作の1つであり、和様に禅宗様の要素を加味した「折衷様」建築の代表例でもある。
102. 鶴林寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「鶴林寺本堂」および「太子堂」…「本堂」は室町時代、応永4年(1397)の建築。入母屋造、本瓦葺き。外部を桟唐戸で覆ったときの重厚な雰囲気が素晴らしい!…「太子堂」平安時代の建立。堂内に壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれていますが元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなしています。
103. 海龍王寺 五重小塔
Massara Nati …: 【国宝】高さはわずか4.01m、創建当時から西金堂内に安置されていますが、もともと屋内で安置することを目的としているので、近くから見ても細部にいたるまで忠実に作られています。
104. Northern Round Hall
Massara Nati …: 【国宝】養老5年(721)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。現在の建物は承元2年(1208)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」である。現在、回廊の復元計画中。 (Wikipediaより)
105. Five-Storied Pagoda
Massara Nati …: 【国宝】天平2年(730)光明皇后の発願により創建されましたが現存の塔は応永33年(1426)の再建で6代目です。高さ50.1メートルは木造塔としては、日本で2番目の高さだそうです。(日本一は東寺五重塔)
106. Eastern Golden Hall
Massara Nati …: 【国宝】神亀3年(726)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置するために建てた天平洋式の堂。治承4年(1180)の兵火による焼失後、文治3年(1187)興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411)に五重塔とともに焼け、現在の建物は室町時代の応永22年(1415)に再建されたもの
107. Three-Storied Pagoda
Massara Nati …: 【国宝】康治2年(1143)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建された。治承4年(1180)の大火による焼失記録はないが、現在の塔は建築様式から大火後まもなく再建された鎌倉建築と考えられる。 (Wikipediaより)
108. 金峯山寺 仁王門
Massara Nati …: 【国宝】入母屋造、本瓦葺きの二重門(=2階建、1階と2階の境目にも屋根の出をつくる門)。軒先に吊るしていた風鐸(ふうたく)の銘から室町時代の康正2年(1456)の再興とわかる。本堂が南を正面とするのに対し、仁王門は北を正面とし、互いに背を向けるように建つのは熊野から吉野へ(南から北へ)向かう巡礼者と吉野から熊野へ(北から南へ)向かう巡礼者の双方に配慮したためという。 (Wikipediaより)
109. 金峯山寺 蔵王堂
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「金峯山寺本堂」…山上ヶ岳の大峯山寺本堂に対し、山下(さんげ)の蔵王堂と呼ばれる。屋根は入母屋造檜皮葺き。2階建てのように見えるが構造的には「一重裳階(もこし)付き」。豊臣家の寄進で再興されたもので、扉金具の銘から天正19年(1592年)の建立とわかる。高さ34m、奥行、幅ともに36m。木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模をもつといわれる豪壮な建築。
110. Gango-ji Temple
Massara Nati …: 【国宝】指定は「元興寺極楽坊本堂」「 元興寺極楽坊禅室」「元興寺極楽坊五重小塔 」の2棟1基。
111. 金堂
Massara Nati …: 【国宝】屋根は寄棟造、柿葺き(こけらぶき)。平安時代前期に建てられた正堂(しょうどう、内陣)の手前に、江戸時代に入り梁間1間、高床の礼堂(らいどう)を孫庇として付している。孫庇部分は片流れ屋根となり、両端を縋破風(すがるはふ)として収めている。堂は段差のある地盤に建っており、建物前方の礼堂部分は斜面に張り出して、床下の長い束(つか)で支える「懸造(かけづくり)」です。
112. 室生寺 五重塔
Massara Nati …: 【国宝】本堂脇の石段の上に立つ丹塗り(木部は朱塗り)の塔。建立は800年頃。屋外にある木造五重塔としては法隆寺塔に次ぎ2番目に古く、高16m強、初重は1辺の長さ2.5mの小型で、国宝・重要文化財指定で屋外に立つ木造五重塔としては日本最小。
113. 室生寺
Massara Nati …: 【 国宝】登録は「本堂(灌頂堂)」「金堂」「五重塔」…「本堂」は 入母屋造、檜皮葺き。鎌倉時代後期、延慶元年(1308)の建立。別名「灌頂堂(かんじょうどう)」とも称されるのは、灌頂という密教儀式を行うための堂であることから。
114. Akishino-dera Temple
Massara Nati …: 【国宝】登録は「秋篠寺本堂」…鎌倉時代の建立で、当時の和様仏堂の代表作の1つである。屋根は寄棟造、本瓦葺き。堂の周囲には縁などを設けず、内部は床を張らずに土間とする。全体に保守的で簡素な構成で、鎌倉時代の再建でありながら奈良時代建築を思わせる様式を示す建物である。(Wikipediaより)
115. 十輪院
Massara Nati …: 【国宝】登録は「十輪院本堂…本堂(国宝)-背後の覆堂内に安置された石仏龕を拝むための礼堂として建立された鎌倉時代の住宅風仏堂。寄棟造、本瓦葺き。建物全体の立ちが低く、正面は広縁の奥に蔀戸(しとみど)を設け、全体として住宅風の意匠になる。軒裏に垂木(たるき)を用いず板軒とする点も一般の仏堂建築と異なる特色である。(Wikipedia より抜粋)
116. 新薬師寺
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「新薬師寺本堂」… なだらかな曲線の大屋根と大きな白壁が、堂々とした天平建築を表しています。創建当初は金堂(本堂)ではなく別の目的のお堂でした。内部は土間に太い柱が立つ、簡素で力強い造り。天井は屋根裏がなく、化粧屋根の構造が直に見ることができます。貴重な奈良時代・創建当初の建造物です。 (新薬師寺HPより)
117. Shosoin
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「正倉院正倉」…元は東大寺の倉庫でしたが明治以降は国の管理下におかれ、内務省、農商務省と所管省庁は変遷し、明治17年(1884)宮内省所管とりました。第二次世界大戦後は宮内府を経て現在は宮内庁の正倉院宝庫及び正倉院宝物を管理する施設等機関である正倉院事務所が管理しています。
118. 長弓寺
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「長弓寺本堂」… 入母屋造・檜皮葺。棟木の墨書から棟上は弘安2年(1279)とわかる。内部は虹梁、垂木を露出させて美しい構造を見せ、また組物の簡素な点は彫刻入りのかえる股でおぎなうなど和様を基調にしつつ、扉(桟唐戸)・頭貫(かしらぬき)の木鼻(用材の端部に装飾彫刻を施す)の意匠などには大仏様を採り入れるなど鎌倉時代の新和様の典型的な建築である。
119. Hase-dera Temple
Massara Nati …: 【国宝】登録は「本堂」1棟です。小初瀬山の中腹に張り出した懸造り(舞台造り)の大建築で観音堂、大悲閣とも呼ぶ。間口、奥行きとも9間の本瓦葺き。正堂(内陣)と礼堂(外陣)をひとつにした双堂と呼ぶ様式で、間に石敷の土間(拝所)を設けています。 南面は豪快な入母屋造りですが、屋根の構成は複雑で八ツ棟造りとも呼ばれています。
120. 唐招提寺 金堂
Massara Nati …: 【国宝】奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のもの。2000年から「平成の大修理」が行われた。寄棟造、本瓦葺きで、大棟の左右に鴟尾を飾る。このうち西側の鴟尾は創建当初のもので東側は鎌倉時代の元亨3年(1323)の補作であったが、いずれの鴟尾も劣化が甚だしいため、平成の大修理に伴い、屋根上から下ろして別途保管することとなり、屋根上には新しい鴟尾が飾られている。 (Wikipediaより抜粋)
121. 唐招提寺 講堂
Massara Nati …: 【国宝】入母屋造、本瓦葺き。平城宮の東朝集殿を移築・改造したもので、天平宝字4年(760)頃、平城宮の改修に伴って移築された。東朝集殿は、壁や建具のほとんどない開放的な建物で、屋根は切妻造であったが、寺院用に改造するにあたって、屋根を入母屋造とし、建具を入れている。鎌倉時代の建治元年(1275年)にも改造されているが、奈良時代宮廷建築の唯一の遺構として極めて貴重である。 (Wikipediaより)
122. 唐招提寺 宝蔵
Massara Nati …: 【国宝】礼堂の東側、経蔵の北側に建つ。奈良時代の校倉造倉庫。寄棟造・本瓦葺 経蔵とともに並んで建つ校倉で、唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれ、経蔵より一回り大きいその堂々たる姿は、校倉の典型といえます。
123. 唐招提寺 経蔵
Massara Nati …: 【国宝】校倉・寄棟造・本瓦葺 礼堂の東側に宝蔵とともに並んで建つ高床式の校倉(あぜくら)で、小さいほうが経蔵です。 唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です。
124. 唐招提寺 鼓楼
Massara Nati …: 【国宝】仁治元年(1240)建立。 楼造・入母屋造・本瓦葺。金堂と講堂の中間の東側に建つ2階建ての建築物です。名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。 外観は、上下階とも扉と連子窓(れんじまど)で構成され、縁と高欄が取り付けられています。 堂内の厨子には、仏舎利を収めた国宝の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されています。
125. 開山堂
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「東大寺開山堂」の1棟…開山良弁(ろうべん)僧正の像を祀るため、良弁堂ともよばれる。内陣中央に八角造の厨子がすえられ、国宝の僧正像が安置されている。良弁が遷化した宝亀4年(773)から246年後に初めて御忌法要が行われたことから、この堂はその時に創建されたようである。 通常は中へは入れないが、良弁忌の12月16日のみ良弁像が秘仏開扉され、拝観することができる(有料・時間制限あり)
126. Daibutsu-den (Great Buddha Hall)
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「東大寺金堂(大仏殿)」の1棟…創建から2度にわたって焼失、鎌倉と江戸時代に再建。江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる槻を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。そのため創建時に11間あったが7間となった。現在でも世界最大級の木造建築だが往時の壮大さがうかがえる。 毎年大晦日から元旦に正面唐破風下の観相窓が開かれ、大仏尊像のお顔を外から拝しながら新年を迎えることができる。
127. Todai-ji Bell Tower
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「東大寺鐘楼」… 鐘楼は榮西が鎌倉時代初期承元頃に再建したものである。方一間、四方吹放で、構造法や繰型は天竺様を基調としていると思われるが、特異な組物の配置などには唐様らしき点もみられ、異色ある建築として技術的及び様式的にみて文化史的意義が極めて深い。
128. Todai-ji Tegaimon
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「東大寺転害門」…境内西北、正倉院の西側にあり、三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門。平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火にも焼け残った寺内で数少ない建物のひとつで、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構である。鎌倉時代の修理で改変されているが、基本的には奈良時代の建物である。
129. Nandaimon Gate
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「東大寺南大門」…現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。上棟は正治元年(1199)、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。
130. Nigatsu-do
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「東大寺二月堂」…旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567)の2回の戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音、小観音と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。
131. Hokke-do
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「東大寺法華堂」…東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺の遺構とされる。天平勝宝4年(752)の東大寺山堺四至図には「羂索堂」とあり、不空羂索観音を本尊として祀るためのお堂である。旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれるようになった。
132. 東大寺 本坊 経庫
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「東大寺本坊経庫」… 東大寺の校倉は三棟現存しているがその中で規模が大きく且つ古い材料もよく保存されている。丸垂木である点など古式で奈良時代東大寺の校倉建築を代表するに足る遺構である。
133. 般若寺 楼門
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は『般若寺楼門』…鎌倉時代の建立。長押(なげし)を多用し和様を基調としつつ上層の組物など細部には大仏様の意匠を多用しています。上層の出組の組物は外部から見ると複雑な構造に見えますが、建物内部では柱が直接桁に達する単純な構造で組物は使われていません。つまり上層の組物は外側から釘止めまたは枘(ほぞ)差しとした見せかけのもので、このような構造の建物は非常に珍しいそうです。
134. 法隆寺 金堂
Massara Nati …: 【国宝】 天智9年(670)の火災後に建立された法隆寺西院伽藍の中心建物で、中門・廻廊に囲まれたなかに、東に南面する金堂、西に五重塔が並んで建つ。 金堂は、二重基壇上に建ち、ふくらみのある丸柱や組物に用いる雲斗雲肘木、人字形割束や卍崩しの高欄など独特の建築様式をもつ。内部は土築の仏壇を構え、本尊釈迦三尊像以下を安置する。 世界最古の木造建造物で、全体の均衡もきわめてよい名建築である。
135. 法隆寺 経蔵
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺経蔵】… 法隆寺の西廻廊が五重塔背後で屈折し大講堂に向かうその中間地点にあります。元は経典を納める施設として建立されたが、現在は天文や地理学を日本に伝えたという百済の学僧、観勒僧正像を安置している。また堂内には三伏蔵(他は金堂内と大湯屋前)の一つがあり、法隆寺を再興できるほどの宝物が収められていると伝えています。
136. 法隆寺 五重塔
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺五重塔」…塔はストゥーパともいわれ釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされる。高さは基壇上より約31.5mで、わが国最古の五重塔として知られています。 この最下層の内陣には奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されています
137. 法隆寺 綱封蔵
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺綱封蔵」… この倉は当初は綱封蔵※ではなかったが、十二世紀の始めにそれまでの綱封蔵が破損顛倒したために、その時から綱封蔵になったようです。 ※綱封蔵とは、三綱(僧官)が封をする蔵のことであり、寺宝を保管するための蔵です。この蔵は「双倉」といわれる奈良時代の代表的な建物であります。かつて法隆寺には、このような倉が三十三棟も建ち並んでいたといわれています。
138. 法隆寺 三経院 西室
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「法隆寺三経院及び西室」…三経院は、聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈されたこと(三経義疏)にちなんで、西室の南端部を改造して建てられました。現在も毎年、夏安居の3ヶ月間(5月16日~8月15日)、法華経・維摩経・勝鬘経の講義を行っています。 鎌倉時代の建立で、阿弥陀如来坐像持国天・多聞天立像(各重文)を安置しています。
139. 法隆寺 鐘楼
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺鐘楼」…この建物は延長3年(925)に大講堂とともに落雷により焼失し、現在の鐘楼は経蔵の様式にならって再建されたものです。この鐘楼の中に吊るされている梵鐘は、奈良時代前期の銅鐘(重文)で現在では年中行事以外には撞かれていません。
140. 法隆寺 食堂
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺食堂及び細殿」…もともと政所という法隆寺の寺務所でありましたが、平安時代に入って、僧が食事をする食堂(じきどう)として使われるようになりました。この建物は、食堂の南側にある細殿(ほそどの)と軒を接して建っていることから「双堂」とよばれる奈良時代の建築様式です。
141. 法隆寺 聖霊院
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺聖霊院」… 鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚にともなって聖徳太子の尊像を安置するために東室の南端部を改造してつくられた。内部の3つの厨子のうち中央にご本尊でもある聖徳太子45歳の像、左の厨子には太子の長子・山背大兄王や兄弟皇子の殖栗王の像、右の厨子には太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像が祀られ、秘仏として毎年3月22日のお会式(御命日法要)の時にご開帳されます
142. 法隆寺 西円堂
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺西円堂」…西院伽藍北西の小高い丘に八角造りの円堂があります。奈良時代に橘夫人の発願によって行基菩薩が建立したと伝えていますが、現在の建物は建長2年、鎌倉時代中期に再建されたものです。そのお堂の中央には、わが国最大級の乾漆像として知られ、霊験あらたかな本尊薬師如来座像が安置されています。
143. 法隆寺 大講堂
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「法隆寺大講堂」…このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られています。
144. 法隆寺 中門
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「法隆寺中門」… 法隆寺の南大門を入ると正面にみえる二重門が中門。初重・二重とも、正面を四間、側面を三間に分かつ特殊な平面をもつ。太くて胴張りのある柱、雲斗雲肘木によって構成される組物、高欄の卍崩しの組子、人字形割束など、飛鳥建築の特徴とされるものによる構成が力強く、美しい。 重厚な扉と左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものです。
145. 法隆寺 東院鐘楼
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺東院鐘楼」…この鐘楼は袴腰と呼ばれる形式の建物です。内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されており、中宮寺から移されたものといわれています。この鐘は、古くから舎利殿の舎利を奉出するときや、東院伽藍で法要が営まれる時の合図として撞かれています。
146. Horyuji Hall Of Dreams
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺東院夢殿」…聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といい、その中心となる建物がこの夢殿。八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像を安置し、その周囲には聖観音菩薩像、乾漆の行信僧都像、平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像、なども安置しています。
147. 法隆寺 東室
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺東室」…西院伽藍の東西には、それぞれ東室・西室という南北に長い建物があります。この東室は東に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物です。この建物の東側には、同じく僧房である小子房の妻室があります。
148. 法隆寺 東大門
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺東大門」…「中ノ門」ともよばれるこの門は、西院と東院の間に建っています。かつては鏡池の東側に南向きに建っていたようですが、平安時代ごろに現在の場所に移されたといわれています。この門は珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです。
149. Nandaimon Gate
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺南大門」… 西院伽藍の南方、境内入口に建つ入母屋造の一重門で、法隆寺の玄関にあたる総門です。建築当初は切妻屋根であった。 創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、室町時代の永享10年(1438)に当時の西大門を移築し再建されました。
151. Toindo At Yakushiji Temple
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺東院堂」…養老年間(717~724)に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、建立されました。奈良時代は現在地の東側に建てられていたが、天禄4年(973)の火災で焼失しました。現在の建物は弘安8年(1285)に南向きで再建されたが、享保18年(1733)に西向きに変えられました。高い基檀の上に建つのは、水害・湿気を避けるためであり、鎌倉時代後期の和様仏堂の好例です。
152. 薬師寺 東塔
Massara Nati …: 国宝の「薬師寺東塔」は平成12年から21年の歳月をかけて全面解体大修理が行われました。
153. 霊山寺
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「霊山寺本堂」…「りょうせんじほんどう」…棟札により弘安6年(1283年)の建築であることが明らかな、鎌倉時代和様仏堂の代表作である。堂内の厨子も堂と同時期の作。厨子内には秘仏本尊の薬師三尊像(重文)を安置する。厨子の左右には二天(持国天・多聞天)像と十二神将像(各重文)、外陣には大日如来坐像と阿弥陀如来坐像(各重文)を安置する
154. 法隆寺 廻廊
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「法隆寺廻廊」…回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っています。平安時代以前の回廊は、経蔵、鐘楼の手前で閉じられ、大講堂、経蔵、鐘楼は回廊の外側に建っていました。また西側より東側のほうが一間だけ長くなっているのは、金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられています
155. 榮山寺 八角堂
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「榮山寺八角堂」…天平宝字4年から8年(760~764)の建立と推定され、藤原武智麻呂の菩提を弔うために子の仲麻呂が建立したと伝えられる本瓦葺の八角形の建物。平城京および斑鳩以外の地区にある奈良時代建築として稀有のものであり、建立年次がほぼ特定できる点でも貴重な建築である。外観は平面八角形であるが内部の身舎(もや)は四角形であり、内陣周囲に立つ4本の八角柱が構造上の要となっている
156. 當麻寺 本堂(曼荼羅堂)
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「當麻寺本堂(曼荼羅堂)」...お堂の内陣は天平時代の様式をそのまま残し、そのお堂を取り込む形で永暦年間(平安の末)に外陣(げじん)等が拡張された。 ご本尊として當麻曼荼羅が巨大な厨子(国宝)の中に収められ、源頼朝寄進の須弥壇(国宝)上に安置されています。その他、十一面観音立像、来迎阿弥陀如来立像(県文)、弘法大師三尊張壁、役行者三尊坐像、中将姫坐像などが拝観できます。
157. 當麻寺 東塔
Massara Nati …: 【国宝】三重塔で、相輪含む総高は24.4m。奈良時代末期の建築と推定。初重が通常どおり3間であるのに対し二重・三重を2間とする。日本の社寺建築では柱間を偶数として中央に柱が来るのは異例。三重を2間とするのは法起寺三重塔に例があるが、日本の古塔で二重目の柱間を3間でなく2間とするのは當麻寺東塔のみ。相輪は一般には九輪だが東塔では八輪、さらに相輪上部の水煙が他に例をみない魚骨状のデザインになっている
158. 當麻寺 西塔
Massara Nati …: 【国宝】三重塔で、相輪含む総高は25.2m。平安時代初期の建築と推定。柱間は初重から三重まで3間とする。相輪は東塔と同じく八輪。水煙のデザインは未敷蓮華をあしらったもので、東塔のそれとは異なっている。大正期の修理時にに発見された文書から、この舎利容器は建保7年(1219)に行われた修理時に納められたものであることがわかるが、心柱の地下ではなく頂部に舎利を納めるのは中世以前では類例が少ない
159. 金剛三昧院
Massara Nati …: 【国宝】指定は「金堂三昧院多宝塔」。多宝塔の内部は須弥壇と言われる壇が設けられており、その前には仏師運慶作と伝えられる重要文化財に指定されている秘仏、五智如来像が安置されている。北条政子が夫・源頼朝の逝去に伴い創建した禅定院の規模を拡大し、金剛三昧院と改めたときに造営することになったもので、建立は貞応2年(1223)高野山で現在残っている、もっとも古い建立物です。
160. Fudodo
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「金堂峯寺不動堂」…建久8年(1197年)、鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王というお方が発願され、行勝上人によって建立されました。もともと一心院谷に建てられていましたが、後世になって伽藍へ移築されました。 現在の建物は14世紀前半に再建されたものです。お堂の四隅はすべて形が違い、四人の工匠がそれぞれの随意に造ったためと伝えられています。
161. 根来寺
Massara Nati …: 【国宝】指定は「根来寺多宝塔(大塔)」…高さ40m、幅15mの日本最大の多宝塔。初層の外見は方形だが、初層内部には円形の内陣が造られており、円筒形の塔身の周囲に庇を付した、多宝塔本来の形式をとどめている。内部には12本の柱が円形に立ち、そのなかに四天柱が立っている。文明12年(1480)頃から建築が始まり、半世紀以上経た天文16年(1547)頃に竣工したと考えられている。
162. 善福院釈迦堂
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「善福院釈迦堂」…釈迦堂の本尊釈迦如来坐像の胎内の修理銘に嘉暦2年(1327)とあることからこの頃の再建とされている。桁行三間梁間三間、一重裳階附き寄棟造り、本瓦葺の二重仏殿で、木割(材木の長さに対する太さ)が太くがっしりした感を与えている。また柱間は尺の完数となっており、床は布敷、組物は二手先となっており、本瓦葺寄棟造、平行垂木など禅宗様式定着前の様式がよくあらわれている。
163. 長保寺多宝塔
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「長保寺多宝塔」…鎌倉末期の造立と推定、三間多宝塔・本瓦葺。塔は全体的に小振りであるが亀腹は低く屋根のゆるやかな均整のとれた建物である。特に中備に美しい蟇股を入れ内部は力強い折上小組天井とする。上層は腰を強く絞り軒が深く和様を基調とした佳麗な建物で頂部には美しい相輪を建てる。
164. 長保寺 大門
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「長保寺大門」…「再営由来写」によって南北朝末期の嘉慶2年(1388)に後小松天皇の勅宣を受け実然僧侶によって建立されたことが分かる。構造は、三間一戸楼門・入母屋造・本瓦葺の和様の建物である。門に掲げられている「慶徳山長保寺」の扁額は後小松院御宇妙法院尭仁親王の真筆と伝えられ、裏面に応永24年の刻銘があり、附指定にされている。 また両脇の仁王像は、運慶の子息湛慶の作と言われる。
165. 長保寺
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「長保寺本堂」…鎌倉末期の延慶4年(1311)再建と伝えられている。本尊は釈迦如来像で、文殊・普賢の両脇侍を安置する。 構造は桁行・梁間とも五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺の建物である。柱上に粽を付けるなど唐様の手法がみられるが、出入口の幣軸、連子窓・組入天井、欄間・妻飾り等の手法は和様であり、2つの様式をミックスした独自の意匠を模索している
166. 向上寺 三重塔
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「向上寺三重塔」… 永亨4年(1432)の建立は国宝の三重塔の中では最も新しいもの。この塔の特徴は組物に入れられた 装飾彫刻です。 尾垂木下の二手先目の肘木先端に 見事な彫刻が施され、その彫刻は植物の葉を抽象化した若葉という図案になっています。色彩と力強い刻線が あいまって強烈な印象を与えています。 また、各重に花頭窓を配し、四隅の親柱の 飾付けには珍しい逆蓮華が見られます。
167. 浄土寺
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「浄土寺本堂」… 嘉暦2年(1327年)の建立。入母屋造本瓦葺き。和様を基調として大仏様、禅宗様の細部を取り入れた、中世折衷様仏堂建築の代表作。なお、1994年7月、境内地全域が「建造物と一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件」(文化財保護法第2条参照)として本堂とともに国宝に指定されている。
168. 浄土寺 多宝塔
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「浄土寺多宝塔」…鎌倉時代末期、嘉暦3年(1328)の建立。大日如来及び脇侍を安置し、内部には彩色が施され、壁面には真言宗の名僧を描いた真言八祖像がある。
169. 明王院
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「明王院五重塔」…南北朝時代の1348年(貞和4年)に建立された純和様の五重塔。初層内部の四天柱(仏塔の初層内部に立つ4本の柱をさす)、板壁などには極彩色の仏画や文様が描かれている。相輪の刻銘には、この塔が当時の繁栄した草戸千軒の経済力を背景に、ささやかな民衆の浄財を募って建立されたことが明記されている。(Wikipediaより)
170. 明王院
Massara Nati …: 【国宝】登録は「明王院本堂」…鎌倉時代1321年(元応3年)に建立された仏堂。和様建築に鎌倉時代以降の新様式である大仏様(だいぶつよう)、禅宗様を加味した折衷様建築の代表例とされている。内部の外陣に見られる輪垂木(わだるき)を用いたアーチ型の天井は、近世の黄檗宗寺院の建築にしばしば見られるものだが、中世には珍しい。 (Wikipedia より)
171. Kouzan-ji Temple
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「功山寺仏殿」…寺伝に嘉歴2年(1327)創建とあるが仏殿の南側来迎柱の上部に「此堂元応2年(1320)卯月5日柱立」の墨書があり鎌倉時代建立の代表的な木造の禅宗様建築で典型的な唐様仏殿としては我国最古。二重屋根入母屋造の桧皮葺、扇垂木に花頭窓、柱は上下部を細めた粽型で礎石と柱との間に礎盤を入れ内陣の天井は鏡天井で石南花を描き、外陣は化粧屋根裏、床は四半瓦敷で建物は一切彩色せず。
172. Rurikoji Five-Storied Pagoda
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「瑠璃光寺五重塔」…室町時代、嘉吉2年(1442)頃の建立で大内文化の最高傑作といわれています。屋外に現存する五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つともいわれています。 高さ 31.2m で屋根は檜皮葺。二重目にのみ廻縁、高欄がついており安定感を感じさせる意匠です
173. 本山寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「本山寺本堂」…正安2年(1300)に京極氏と佐々木氏の寄進によって再建された。棟木と礎石に残された墨書から正安2年の建立が裏づけられる。円柱を用い、建築様式は純和様に近いが側面と背面に桟唐戸を用い、外陣に渡した虹梁上に大瓶束を用いる点など細部には禅宗様を取り入れている。内陣は大型厨子内にさらに3基の厨子を置き中央に本尊馬頭観音、左右に薬師如来と阿弥陀如来を安置する(いずれも秘仏)。
174. 石手寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「石手寺仁王門」…三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺き。『伊予古蹟志』に文保2年(1318)の建立とある。様式的にもその頃の建立とみられ鎌倉期建築の特徴がよく現れている。上層の回縁の出が大きく入母屋屋根の反りが高い。組物は上層・下層ともに三手先とし中備は正面は三間とも本蟇股、側面は間斗束とする。門内に安置する金剛力士像は鎌倉時代の作で愛媛県の有形文化財に指定(Wikipediaより)
175. 太山寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「太山寺本堂」…堂内から発見された墨書により1305年(嘉元3年)の建立と判明する。屋根は入母屋造本瓦葺きで木造建築としては県下最大。柱はすべて円柱で正面の柱間をすべて蔀(しとみ)とするなど建築様式は和様を基調とするが虹梁の形状など細部に大仏様(天竺様)を取り入れている。(Wikipediaより)
176. 大宝寺
Massara Nati …: 【国宝】登録は「大宝寺本堂」…鎌倉時代前期の建立と推定。愛媛県内最古の木造建築。間口・奥行とも同寸法(約9m)で平面は正方形であるが柱間は正面・背面を3間、側面を4間とする。内部は中央部の1間四方を内陣、その外側を外陣とし平安時代末期に見られる阿弥陀堂の形式となっている。柱は全て円柱で組物は隅柱上に舟肘木を用いるのみの簡素なものとする。正面は3間とも蔀戸(しとみど)とする(Wikipediaより)
177. 豊楽寺 薬師堂
Massara Nati …: 【国宝】登録名称は「豊楽寺薬師堂」…本堂である薬師堂は、四国最古の建造物で桁行、梁間ともに五間の単層入母屋造り、柿葺で勾欄(手すり)付きの廻縁を有する。壁は板壁で前面中央の三間は板唐戸の観音開きになり両脇の一間には連子窓がついている。屋根の勾配はゆるやかで軒先の反りは美しく優雅。特に内陣の須彌壇(しゅみだん)の勾配と嵌板の香挟間(こうざま)の刳りは、平安時代後期の特色をよく表している。
178. 崇福寺 大雄宝殿
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は『崇福寺大雄宝殿(そうふくじ だいゆうほうでん)』… 寬永6年、支那僧の超然によって創建された崇福寺の本堂です。中国寧波(ニンポー)で切組みされた材を数隻の唐船に分載されて輸入し、正保3年(1646)に建立されました。当初は俗に黄檗天井と呼ばれるアーチ型の天井をもつ中国建築様式の単層屋根でしたが、元禄時代の初期に建築細部様式に和様を基調とした重層を付加し現在の姿となりました。
179. 崇福寺 第一峰門
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は『崇福寺第一峰門(そうふくじ だいいっぽうもん)』…寬永6年に支那僧、超然によって創建された崇福寺。第一峰門は中国寧波(ニンポー)で切組みされた材を数隻の唐船に分載されて輸入し建立されました。明から清への移行期の影響著しい建築です。
180. Fuki-ji Temple
Massara Nati …: 【国宝】指定は「富貴寺大堂」(ふきじおおどう)…急な石段の上の斜面を削平した小高い土地に建つ。この堂の瓦葺きは、上方がすぼまり下方が開いた特殊な形の瓦を次々に差し込んでいくもので「行基葺き」と呼ばれる。小規模な建築であり扉など後世の修理で取りかえられた部分もあるが九州に残る和様の平安建築として、また、六郷山の寺院群の最盛期をしのばせる数少ない遺物として歴史的価値が高い。(Wikipediaより)
181. 不動院
Massara Nati …: 【国宝】指定は「不動院 金堂」…天文9年(1540)の建築と判明する。屋根は入母屋造、柿(こけら)葺き。2階建てのように見えるが、一重裳階(もこし)付きである。この堂は当初から不動院にあったものではなく、山口市にあった禅宗寺院・凌雲寺から天正年間(1573-1592年)、安国寺恵瓊により移築されたものである。原爆による大きな被害も受けず広島市内に現存する唯一の国宝である。
182. Daiyonhongu(Main sanctuary)
183. Daisanhongu(Main sanctuary)
184. Dainihongu(Main sanctuary)
185. Daiichihongu(Main sanctuary)
186. 明王院 五重塔
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「明王院五重塔」…南北朝時代の1348年(貞和4年)に建立された純和様の五重塔です。初層内部の四天柱(仏塔の初層内部に立つ4本の柱)、板壁などには極彩色の仏画や文様が描かれています。相輪の刻銘には、この塔が当時の繁栄した草戸千軒の経済力を背景に、ささやかな民衆の浄財を募って建立されたことが明記されています。(Wikipediaより
187. 石上神宮 拝殿
Massara Nati …: 【国宝】...指定名称は『石上神宮拝殿(いそのかみじんぐうはいでん)』永保元年(1081)白河天皇が新嘗祭(にいなめさい)を行う宮中の神嘉殿(しんかでん)を移建せられたものと伝えられていますが、建築様式からは鎌倉時代初期の建立と考えられているようです。
188. 長寿寺本堂
Massara Nati …: 【国宝】指定名称は「長寿寺本堂」… 本堂の建立年代は明らかではありませんが、貞観年間(859~877)に焼失、復元されました。ただし国宝データベースによると様式手法から鎌倉初期の建立とみられています。
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